ライフヒストリー良知

ライフヒストリーブログ

名文は奇蹟を起こす

作家井上ひさしの書いた『文章読本』という本があります。その中で、言葉によって文章を綴るというのはどういうことかについて、こう言っています。

『ヒトが言語を獲得した瞬間にはじまり、過去から現在を経て未来へと繋がっていく途方もない長い連鎖こそ伝統であり、わたしたちはそのうちの一環である。ひとつひとつの言葉の由緒をたずねて吟味し、名文をよく読み、それらの言葉の絶妙な組み合わせ法や美しい音の響き具合を会得し、その上でなんとかましな文章を綴ろうとする努力するとき、わたしたちは奇蹟をおこすことができるかもしれない。』

『その奇蹟こそは新たな名文である。新たな名文は古典のなかに抑えられ、次代へと引くつがれてゆくだろう。すなわち、よい文章を綴る作業は、過去と未来をしっかりと結び合わせる仕事にほかならない。もっといえば文章を綴ることで、わたしたちは歴史に参加するのである、と。』

『たしかに、ヒトは言葉を書きつけることで、この宇宙での最大の王「時間」と対抗してきた。芭蕉は50年で時間に殺されたが、しかしたとえば、周囲がやかましいほど静けさはいやまずという一瞬の心像を17音にまとめ、それを書きとめることで、時間に一矢むくいた。閑さや岩にしみ入蝉の声はまだ生きている。時間は今のところ芭蕉を抹殺できないでいるのだ。』

『文学史は、というよりもこれまでヒトが書き記したものすべて、すなわちヒトの記憶一切はみな同じ構造をもっていると思われる。』

『せいぜい生きても7,80年の、ちっぽけな生物ヒトが永遠でありたいと祈願して創り出したものが、言語であり、その言語を整理して書きのこした文章であった。わたしたちの読書行為の底には「過去とつながりたい」という願いがある。そして文章を綴ろうとするときには「未来とつながりたい」という想いがあるのである。』

井上ひさしの言葉はこれからも連綿と続くのですが、ここに私たちと同じ思いがあります。言葉を文章にして後世に遺すことは、まさに人々と「過去とつながりたい」という気持ちと「未来につながりたい」という気持ちを統合していくことなのですね。

%e5%b0%8f%e5%b7%9d