口述自伝(ライフヒストリーホームページ&ブック)とは、
お客様である話し手が聞き手(ライフヒストリアン)に対して話をし、
その内容について話し手の口癖や語尾、方言なども織り交ぜ、
文章として取りまとめたものです。
これをホームページ、さらにハードブックにして多くの人々にご覧になって頂きます。
話し手の話の内容は、話し手が過去に体験した事実に限られます。
話し手が、自ら体験したこともない夢物語を自伝にすることは、
原則としてありません。過去に体験した「事実」を脳に記銘されている記憶をたどっていま語るということです。
平たく言えば、ひとりの人間の一生あるいは半生、何年かの暮らしが語られるということです。
個人の「記憶」、個人の「歴史」が語られ、それを「聞く」という方法を使って記録(書く=記述)することなのです。
人間は何でもかんでも記憶できる生き物ではありません。記憶をたどって語られる話は、体験のほんの断片にすぎません。また、語られたことが出来事のすべてではありません。語られた瞬間から語られなかった事実が弾き飛ばされ消えていく可能性をもっています。
私たちライフヒストリアンは、常にそのことを自ら言い聞かせておかなければなりません。記憶によって思い出される過去の体験や出来事は、映像などで再現することが不可能です。
口述自伝(ライフヒストリーホームページ&ブック)は、それを言葉によって人々の心を喚起させるための方法として存在すると言ってもよいと思います。
口述自伝(ライフヒストリーホームページ&ブック)の作成によって、歴史に新しい可能性が生まれることが期待できます。
これまでの歴史は主に富ある者、力ある者が中心であったからです。口述自伝(ライフヒストリーホームページ&ブック)の普及を奨めるのは、歴史の痕跡に残ることのない「無名」の人々の語りを記録することによって、これまでの歴史から、有名ならざる者の側に傾いた歴史が生まれやしないかという期待があるからなのです。
「歴史とは、歴史家と事実の間に横たわる絶えることのない対話であり、また現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話でもある」と歴史家E・H・カーは言います。ライフヒストリー良知の場合は、「お客様の歴史とは、ライフヒストリアンと事実の間に横たわる絶えることのない対話であり、また現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話でもある」となります。
「語る」ということは個人の記憶を語るということに他なりません。時間や場所を変え、見ていなかった人、聞いていなかった人に説明することが「語る」ということにふさわしいのです。それも記憶の「いま」を語るということです。
記憶は消滅し、生成し、変身します。そうであれば記憶を拠り所とする「語り」もまた、記憶に従って変容せざるを得ません。音声で発せられる言語は人間の最大にして最高の作品であり、これをさらに記号化したものが「文字」となります。
ライフヒストリアンは、「語り」を聞き、それらを代筆していく役割を担っています。
口述自伝(ライフヒストリーホームページ&ブック)の作成は、ライフヒストリアンが話し手の「語り」を「聞き」、それを文字にして「書く」ことになります。そして不特性多数の人々がやさしく「読む」ための文章にして完成させます。
この過程は、「話し言葉」を「書き言葉」に変換する過程と考えてもいいでしょう。こうしてつむぎ出された新しい言葉は、「聞き書き言葉」と名付けています。つまり、「書き言葉」でもなければ、「話し言葉」でもありません。書くことの元になる「語り」の言葉に、独特の加工を施して「聞き書き言葉」を創りだしていくのです。