今日これから、高校時代のふたりの友人の偲ぶ会に行きます。私は発起人のひとりとして名前を連ねています。
ひとりは、私の幼稚園から高校まで同じところで学び遊んだ、学生時代柔道でも名を馳せたナイスガイです。この4月家族の必死の祈りもむなしく逝ってしまいました。もうひとりは高校3年の時同じクラスのとても明るく元気溌剌だった女性で、最近はテニス大会のシニアの代表にもなっていたほど病気とは無縁でしたが、今年に入り難病に冒されこの5月に天国に召されました。
生者は皆いずれ死者となります。今この瞬間に地球上に生きている60数億人の人間だけが生きているのであって、かつての生者は皆死者となっています。 しかし、死者となり続けていく圧倒的な量の人間の記録は、実はゼロに等しいと言ってもいいと思います。私や家内の祖父母や両親も、それなりの写真はあっても、記録としてはほとんど残っていません。今日のふたりの友人もまた、そうでしょう。記録がないために大半の人々は、後世から顧みられることが年々なくなっていきます。
厳しく言えば、人間が死者となってこの世から消え去ることは、その人間の記憶もろとも消え去る、つまりリセットされるということです。
私が、なぜこの「ライフヒストリー良知」の事業を進めていくのかと言うと、消え去る他ない、もしかしたら歴史の痕跡としてさえ残ることのない無名の人々の語りや言葉を記録することによって、後世の人々の記憶を呼び起こし、その生き方に何らかの影響を与えていくことができるのではないかという期待があるからなのです。
「ライフヒストリー良知」の事業によって聞き書きされた個人の記録は、それぞれ不正確な部分が含まれています。記憶違いや嘘もあります。それらをすべて含めてその人の歴史の痕跡になると思うのです。
今日、偲ぶ会で会うふたりの友人の歴史の痕跡を改めて見出すことができればと思っています。