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〈話し言葉〉と〈書き言葉〉【日本語表現技術】

〈話し言葉〉と〈書き言葉〉【日本語表現技術】

口述自伝を制作するとき、予め顧客のライフヒストリーの概要を書いて頂いて、面談し、それをもとにインタビューします。レコーダーで録音し、聴いた言葉を再生しながら文字にしていきます。

この時、顧客の〈話し言葉〉を〈書き言葉〉に換えていく作業をします。では、〈話し言葉〉と〈書き言葉〉の違いとは何でしょう?

遠い昔、文字がなかった頃、人は〈話すこと〉だけで〈書くこと〉はありませんでした。人類が誕生してからの長い間、無文字社会が続いてきたのです。人はしゃべることから始め、たいへん過酷な訓練によって〈書く〉という技術を体得していきました。

言葉という同じ語で表現していても、〈話し言葉〉と〈書き言葉〉とは相当な差異があることを誰もが知っていますよね。

かつて私の〈聞き書き〉の師匠である今は亡きジャーナリスト和多田進氏は、「最大の相違は〈場面〉をあてにできるか否かだ。〈話し言葉〉の〈場面〉は、〈場面〉がすべて主導権を握っていると言ってもいい。だが、〈書き言葉〉は〈場面〉をあてにすることができない。〈書き言葉〉では、(場面)も〈言葉〉で描かなければならないからだ。」と言っていました。例えば、

『小川の向こうに咲き乱れているコスモスの群れを見ながら妻が夫に、「とって」と言ったとしよう。言われた夫は、手にあったカメラをコスモスの花に向ける。そんな夫を見て、妻はびっくりする。何故か? 妻は、夫にコスモスの花を「採って」欲しかったのだが、夫はずっとカメラのことが頭にあって、妻の「とって」という声で思わず写真を「撮った」のだ。』

これは妻と夫の間に共通理解がなかったことを示しています。しかし、よく考えてみると、この誤解の原因は、〈話し言葉〉が〈場面〉をあてにして成り立っていることの証となりますね。妻は、この〈場面〉で「とって」と言えば夫が「花を摘んでくれる」ものだと思い込み、夫は夫で「とる」は「撮る」ことだったのです。

これが〈書き言葉〉なら、こういう誤解は生じません。〈書き言葉〉は〈場面〉を必ず描き、文字で「採る」と「撮る」の使い分けもします。そうでなけば、不特定多数の読み手を想定する〈書き言葉〉は成り立たないからです。

〈話し言葉〉は、原則として1対1の言葉です。もちろん、演説とか講演などで大多数の前で話すことは、まあ、例外的にありますが。〈話し言葉〉の後ろには、必ず話す人の性別や年齢、職業や学歴、性格や価値観、趣味や特技などが反映しているので、これらも認識する必要があります。

それと〈話し言葉〉には、身振りやジェスチャー、表情なども考えることが大切です。さらに、〈話し言葉〉では文法的なことが往々にして無視されることも特徴です。主語を取ったり、語順もいろいろ。一度口から出てしまった言葉は訂正できないのも〈話し言葉〉の特徴のひとつでしょう。

和多田氏から頂いた〈聞き書き技術試論〉には、「とにかく〈話し言葉〉と〈書き言葉〉では、とてつもなく大きな違いがあることを肝に銘ずるように」と強調していましたね。