勝小吉(勝海舟の父)は、何故子孫のために自伝を書いたか?
江戸末期の英雄の一人に勝海舟がいますね。彼がいたから江戸が焼失されることなく、明治維新が成功したと言ってもいいでしょう。その勝海舟のお父さんが勝小吉。小吉は晩年、と言っても40歳少し過ぎたばかりの時、〈夢酔独言〉という自伝を書いている。
アンナ・R・バーという米国の自伝研究家がいて、彼女は人が自伝を書く動機には、4種類の理由があると言っています。すなわち、
①自分の生きざまの確認や研究のため
②宗教的な証言として
③子孫や後裔のために
④楽しみ、或いは過去を思い出すため
やりたい放題、無頼漢と生きてきた小吉に自伝を書かせる動機はいったい何だったのか。自分の生きざまに満足していたのか。そうではないでしょうね。鬱屈や憤懣があってその行動のばねになっていたの節があります。そんな反抗心や怨念が、彼が自伝を書く原動力のひとつになっていたのは間違いないですね。
〈夢酔独言〉には宗教的なものはないですね。彼に罪の意識といったものがこの本から感じ取れない。確かに〈天道の罪〉という言葉が出てくるけれど、それも自分には当たらないことだと言っているしね。
自伝を書く楽しみとか、また過去を思い出すことが主たる理由であったこともないでしょう。小吉はそんな気質や性格を持ち合わせていないから。
だったら、小吉が自伝を書いた最大の動機は、ずばり〈子々孫々〉のため。これは小吉にとって案外座りの良い身の置き場だったのかもしれない。
世間に向かって裸の自分をさらけ出そうとしたものではないという意味では、確かに〈独言〉だけど、小吉は海舟という優れた子がいたから、決して〈孤独〉ではなかったと思いますよ。
小吉は、〈子孫という聴き手〉を信じて、〈子孫〉のために、率直に自らの行いを書き留めておこうとしたのです。「自分の血を受け継いで生まれてくるのだから、自分と似た放埓で愚かな行動をやり出さないという保証はない。俺はこうしか生きるほかなかったが、できればお前たちは真似をやらぬがいい」と言っていましたから。
その意味で、宗教告白を主たる目的とする西洋の自伝とは大きく異なる。〈子孫という聴き手〉や〈受け留め手〉の存在を持つ日本独特の自伝の姿がここにあるのです。
この勝小吉の心意気と目的意識はとても大切だと思っています。得てして、自伝を書く場合、どうしても〈自慢史〉とか〈自分だけの伝記〉になりがち。あまり自己を素直に赤裸々に描くことはないですからね。
だけど、自分の生きざまを子孫や後裔に向けるなら、いかに《ありのまま》に書き残すか、ですよね。
それを自分で考え、過去を思い出し、失敗や挫折経験、恥ずかしさなどを書き綴るのは、抵抗があるでしょう。
ここに口述自伝の良さがあって、私たちライフヒストリアンの存在の意味があるのです。