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ライフヒストリー良知の自伝を司馬遷の〈史記〉に喩えるなら

ライフヒストリー良知で描く自伝を、世界最良の歴史書〈史記〉に喩えるならば、

司馬遷は、漢王朝の武帝の時代、朝廷の記録を司る史官でした。しかし武帝の前で匈奴という異民族に捕まった将軍で昔からの友人であった李陵をかばったため、宮刑(男根の切り取る死刑の次に重い刑罰)に処せられ宦官(かんがん)となった人物です。

同じ史官であった父親から中国の歴史を書き残すよう遺言され、それを使命として、いわば「生き恥を晒して」生き、歴史巻物『史記』を完成させたのです。

『史記』は、130巻におよぶ膨大な著書です。司馬遷は、歴史を通して人間を描こうとしました。“人間とは何か”ということが『史記』の一貫した命題で、これに即して紀伝体という独自の構成で作り上げたのです。

『史記』130巻は、

「本紀」(王朝の歴史)12巻。これは敢えて〈キングヒストリー〉という。

「書」(制度史)8巻。これは〈地理・天文・自然〉。

「表」(年表)10巻。これは今作成中の〈年表〉。

「世家」(諸侯の家の記録)30巻。これは先祖や家族の〈ファミリーヒストリー〉。

「列伝」(個人の伝記)70巻。これぞ〈ライフヒストリー〉。

の5部に分かれています。

司馬遷は、形式や既成の概念にとらわれず人間を直視する現実的な精神を持っていました。

社会的な階層が異なるやくざやテロリストなども何ら偏見なく「列伝」に著していますね。司馬遷の眼は複眼のようです。

それは物事を個別のものとして見ず、常に全体の関連においてとらえています。

その時の状況と個人とのからみあいの中で、歴史がどう作られ、それがまたどう人間にはね返っていったのかということが浮き彫りにされています。

司馬遷のこの“人間とは何か”“その状況でその人は何をなし得たか”という命題をもとに、司馬遷にははるか及ばないものの、私はライフヒストリアンとして彼の志を目標にしていこうと思います。

そしてライフヒストリーである〈列伝〉、年表に相当する〈表〉、ファミリーヒストリーとしての〈世家〉を著していきたいと願っているのです。

湖畔(4)