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判断の背後の記憶

判断の背後の記憶

ものごとを〈判断〉するのに、何らかの基準とか理由が必要ですよね。

ではその基準はどこにあるのだろう?その理由はどのように組み立てているのだろうか?

そう考えるとき、私たちが日ごろ何気なく行っている〈判断〉の際にも、これまでに経験したり、見聞きしたり、人からアドバイスを受けたり、本を読んで知識を仕入れたり、ネットから情報を得たりした時の〈記憶〉が基準になっていることに気づきます。自分の〈記憶〉から関連することがらを引き出し、現状と照らし合わせながらもっとも適切な〈判断〉を下しています。

私たちは、〈判断〉するとき、決して客観的に行っているわけではない。同じような状況に置かれても、人によって『これがいちばんいい』とみなすそれぞれの結論が違いますよね。なぜでしょう?それは、それぞれが背負っている過去の経験が異なるからなのです。言い換えれば、脳から引き出され参照とする〈記憶〉が違うからなのです。

つまり、過去の成功体験や失敗の経験の〈記憶〉は、今判断する際にとても大きな力を持つのです。過去に置き去りにしてきたものを拾うことによって、人生の軌道修正を行うというのは多くの人が経験することですね。

ところで、私は最近、若い頃の夢やこだわりをいつの間に忘れてしまい、現実の世界にどっぽり浸かってその要請に応えるばかりの生活に明け暮れてきたなぁと考えることが多くなってきました。いつの頃からか、自分の時間を生きてこなかったなぁという思いがこみ上げてきます。

自己を認識し自分の価値観が何であるかを知ることが大切ですね。価値観が合わなければ、うまくできても、例え儲かっていても、そこからは充足感は得られない。自分自身で納得のいく方向に進んでいると感じて初めて、モチベーションが高まりますからね。

これからは、自分の価値観に沿った生き方をしていくことが大事だとひしひし思っています。だけど、自分がどんな価値観のもとに生きていこうとするのか、今の年齢になってもなおわからないことがある。おそらくそんな人もけっこう多いでしょうね。その目指すべき方向がわからないのなら、自分の〈記憶〉、それも〈自伝的記憶〉をたどっていくことだと確信しているのです。