歴史の中の自己表現
元々人間というものは何かを表現したいという願望を昔から持っていました。フランスアルタミラの最古の壁画には、まったく文字のない時代に人間が描いた牛や動物の絵が残っていますね。原始時代から人は表現の意欲が旺盛だったのでしょう。
これがだんだんと技術の発達とともに多様化していきます。印刷というものが発明されたのも、自分の持っている情報をたくさんの人に知らせたいという願望から生まれてきたからですね。
さて、日本では、江戸時代になるとそれまで武士階級の独占物であった印刷物が庶民のものになっていきます。技術的には木版刷りの発達で「枕絵」「草双紙」、或いは「読本」という形で大都市の町民の中に広まっていきます。この頃から自分を表現したいものを形にして、多くの人にそれを見てもらいという願望が少しづつ実現されていくようになってきました。ただそれにも限界があって多くの庶民にとっては口から口への言い伝えの文化が主流でした。
江戸時代の終わりになると、地方の町や村で俳句や漢詩を作る人々が商人や地主層だけでなく農民階級からも出てきました。やがて、私塾や寺子屋を通じて民衆が文字を覚え始めます。この基礎があって明治時代以降の教育の普及や展開があったのですね。
人々が自分の存在意義を自分で確認し人にも認めさせたいという思いは、このように古くから一歩づつ進んでいきます。戦後になってからは特に、「自分の人生を自分で表現するライフヒストリー活動」という形で現れてきます。1960年代に日本の家庭にテレビが入り始めて映像の時代になってきても、文字による記録はいささかも衰えることはありませんでした。
そして、1990年代にインターネットの時代が到来します。人々は自らホームページを作ったり、ツイッターやフェイスブックなどのSNSを使ったり、或いは紙媒体のみならず電子書籍を活用することによって、自分の考えや感情を幅広く表現し人々に知らしめる手段を得ました。そして今人工知能の時代がやってきました
前述のように“自己表現”とは元来人間が持つ大きな願望です。私たちライフヒストリアンの使命は、様々な先端技術を駆使しながらその願望を実現させるための支援を行うことにあるのです。