『歴史とはなにか』のいう岡田英弘という歴史学の先生が書いた著者があります。
そのなかで、歴史、或いは歴史家について次のように記述しています。
「歴史をつくるのは、結局、個人としての歴史家である。歴史はそれを書く歴史家の人格の産物なのだ。
ただし、書く歴史が、一人がてんの独り言に終わらないためには、その歴史家が、豊かな個性を持っていなければいけない。
神のような全知全能になれというのではないけれど、なるべくたくさんの経験を積まなくてはいけない。
いろんな人と気持ちを通い合わせることができたと感じるような経験を、たくさん積み重ねなくてはいけない。
結局、それ以外に歴史を書く立場というものは理論上あり得ない。
だから、書く歴史家の人格の幅が広く大きいほど、よりよい歴史をが書けるということになる。
そうした歴史家の、世界を包み込むような普遍的な知恵、仏教風に言えば『般若の智慧』があってはじめて普遍的な歴史になりうる。
言い換えれば、歴史家個人が個性的であることを極限まで追求すれば普遍的な歴史が可能になる、ということだ。」
名もなき普通の人々の生きざまを聞き書きによって後世に遺すことを目的とする“ライフヒストリー良知”では、この『歴史』を『ライフヒストリー』、『歴史家』を『ライフヒストリアン』に置き換え、岡田先生の言葉を噛みしめながら事業を展開しているのです。