私たちが現在進めている「ライフヒストリー」のかたちとは別に、「オーラルヒストリー」という手法があります。「オーラルヒストリー」とは、『公人の、専門家による、万人のための口述記録』と言えるでしょう。公人という定義は難しいのですが、まあ一般的に政治家とか官僚とか、国家に奉仕した人物になるでしょうか。
一方、『ライフヒストリー』は、基本的には全く無名の人たちからの聞き書きのことです。名もなき市井の人々の生き様や体験談、暮らしぶりや考え方などその人の記憶を呼び起こし記録を取っていく。語る人も語られる内容も実に様々。破天荒なその人の人生をおもしろおかしく語られたり、また、教養や才能がにじみ出たり、また、失敗や挫折がふんだんに織り込まれ、陰惨を極める場合とか、おおらかな性体験が語られるなど実に様々なのです。
公人の場合は、こんなお話を語る人なんてまずいないですよね。
それどころか、これまで日本の公職経験者は、どちらかというと「言わず語らず」で自分の経験したことのすべてを墓場まで持っていくのがある意味伝統であったし美徳でした。まさしく「沈黙は金、雄弁は銀」で、たまに口を開くと自慢話や顕彰伝になってしまいますね。
しかし、これから公人であった人たちは、自らの体験談を後世に遺していく義務があると思いますね。イギリスの政治家は回顧録を書いてはじめて職務を終えるといわれています。つまり、公人は歴史に対する義務を負っているのですよ。
『ライフヒストリー』は、そこまでの義務はもちろんありません。おおらかにすべてをさらけ出し、楽しくおかしく語り、それを描き書き遺していけば、子や孫、後世の人たちが大いに喜ぶのは間違いないでしょう。「おじいちゃん、おばあちゃんの人生はいろいろあったようだけど、きっと面白かったのだろうな」と。
そこが、『ライフヒストリー』と『オーラルヒストリー』の大きな違いかなと思いますね。