学生時代に「青春の門」というベストセラーがありました。著者は五木寛之です。私の亡くなった母と同じ昭和7年生まれですから今年で85歳ですね。その彼が最近書いた「孤独のすすめ」という本があります。その中の最終章で「回想のすすめ」という項目で、人間にとって過去を回想することがいかに大切なことか、克明に書き綴っているのでご紹介します。
ある程度、高齢になってくると、誰でも気持ちが沈むことがある。初老期のうつのような病的なものもありますが、そうでなかったとしても、同世代の友人や知人がどんどん欠けていったりすると、何となく心寂しくなるものです。
(中略)
最近は、未来を考えるより、むしろ昔を振り返ることが大事だと思っています。記憶の抽斗を開けて回想をし、繰り返し記憶を確かめるたびに、ディテールが鮮やかになってくる、それが日々の楽しみになるのです。
過去を振り返るのは後ろ向きだ、退嬰的だと批判する人もいます。「高齢になっても前向きに生きよ、それが元気の秘訣だ」という意見も、少なくありません。しかし高齢者の場合、前を向いたら、死しかありません。それよりは、あの時はよかった、幸せだった、楽しかった、面白かったとさまざまなことを回想し、なぞっていったほうがいい。
(中略)
過去を思い出すことで、新たな発見もあります。私は目下、『中央公論』誌で「僕が出会った21世紀のレジェンドたち」という連載をやっています。今まで登場したのは、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーや、ヘンリー・ミラーなど。書くために思い出そうとすると、時間がたっていることもあって、なぜその時、その人に会ったのかといった経緯はすっかり忘れている。ところが不思議なことに、輪郭がおぼろげになった分、その時感じたことや相手のひとことなど、ディテールがどんどん鮮明になっていく。それが実は、老年期の鬱から救ってくれるのです。
「回想」は、医療の現場でも取り入れられています。もともと1960年代にアメリカの精神科医が、高齢者の鬱に効果があるとして提唱した療法ですが、後に認知機能の改善にも役立つことが実証され、認知症のリハビリとしても取り入れられるようになりました。回想することで脳が活性化され、回想を語るとコミュニケーション力にも刺激を与えるからでしょう。
また、蘇った思い出が楽しいものであればあるほど、心理的な効果が高いと言われています。自分の人生、捨てたものではないと、肯定的な気持ちになるからです。回想は投資信託と違って、元本を割り込む心配もありません。しかも元手は自分の頭の中にあるわけですから、無限に存在している。これほど安心で、しかも効果が期待できる財産は、そうそうありません。書くのが好きな人は自分史を書くのもいいかもしれませんが、誰もができることではありません。ですから無理せずに、頭の中で記憶を蘇らせるだけでいいのです。
(中略)
誰でも生きていれば、つらいことや、嫌なことは山ほどあります。しかしそういう記憶は、抽斗の中にしまったままにしておいたほうがいい。落ち込んでいる時、弱っている時は、なんともいえないバカバカしい話が逆に力になることがある。賢人の格言より、思想家の名言より、生活の中のどうでもいいような些細な記憶のほうが、案外自分を癒してくれるのです。
しかも歳を重ねれば重ねるほど、長年生きた分、そうした思い出の数は増えていくはずです。いわば頭の中に、無限の宝の山を抱えているようなもの。そうした日常生活の中でちょっとした出会いや思い出を記憶のノートにしっかり記しておいて、ときどき引き出して“発掘”“発見”するのは、下山の時期を豊かにするためのいい処方箋です。そのためにも「回想力」をしっかり育てたいものです。
「玄冬」のさ中にあって、ぼんやりそんなことを思っているのです。