ライフヒストリー良知の事業を推進するために、私たちは“聞き書き言葉”の開発を行ってきました。
言葉には「話し言葉」と「書き言葉」がありますね。それぞれに特徴があるのですが、最大の違いは、場面をあてにできるか否か。「話し言葉」の場面は、「場面」がすべて主導権を握っています。ところが「書き言葉」は「場面」をあてにできません。
例えば、旅行に行った夫妻が、きれいな花園を見て、妻が「とって」と言ったとします。言われた夫は手にぶら下げていたカメラをその花に向けます。そんな夫を見て、妻は一瞬びっくりします。どうしてか。妻は夫に花を「採って」欲しかったのだけど、夫は写真が好きで、妻の「とって」という声で思わず写真を「撮っ」たわけです。
これは、夫と妻との間に「場面」についての共通理解がなかったことを示しています。この誤解の原因は、「話し言葉」が「場面」をあてにして成り立っていることの証拠でもあるのです。妻は、この「場面」で「とって」と言えば夫が「花を摘んでくれる」ものと思い込み、それを疑わなかったわけです。夫は夫で、「とる」は「撮る」ことだったのです。
これが、もし「話し言葉」の世界でなく、「書き言葉」の世界だったら、こんな誤解は生じようがないでしょう。文字で「採る」と「撮る」を使い分けもします。そうでなければ、不特定多数の読み手を想定する「書き言葉」は成り立たないからです。
「話し言葉」には、演説や講演などがありますが、原則として1対1で話す言葉ですね。「話し言葉」の背後には、話す人の職業や年齢、性別、階級、出身地、趣味などが反映しています。それにジェスチャーや表情なども考えに入れなければなりません。
さらに「話し言葉」では文法的なことが無視されることも特徴です。主語が省略されたり、語順も無視されますね。「書き言葉」では、よく練られた「完成品」の言葉が使われます。しかし「話し言葉」ではことばが未完成のまま使われます。そして、一度口から出てしまった言葉の訂正がきかないことも「話し言葉」の特徴として考えてもいいかもしれませんね。
私たちが“聞き書き”を行うにあたって、またそれがどういうものか考えていくなかで、「話す」ということと「書く」ということの間には、実に大きな違いがあるということを押さえておかなければならないのです。