「みみをすます」という言葉があります。
これは外国語にはない日本語独特の表現ですね。何かひとつのことに注意を集中することでなく、ただ耳をすまして聞いている。そこには他の人の声や雑音なども入ってくるけど聞いている。
かつてフロイトは、「われわれは精神分析家は平等に漂える注意を持たねばならない」と言った。この「平等に漂える注意」を持つというのは本当に難しいことですね。注意とはひとつのことに向かっているときのことを指すのですが、平等に漂える注意というのはまったく矛盾していますよね。フロイトはその矛盾した注意を持つように自分を訓練しなくてはならないと言うのです。
「みみをすます」がまさに「平等に漂える注意」。
フロイトは無意識を発見した人です。その人の無意識は何を言おうとしているのか、私たちはそれを知り解釈せねばならない。それは実に難しいことですが、人ひとりのライフヒストリーを文章にして表現するにはその力が必要不可欠なのです。
私達には今「みみをすます」技術が求められています。