ライフヒストリー良知

年表

1945年(昭和20年)

干支:酉(とり)

政治

1月9日 米軍、ルソン島に上陸。2月3日マニラ進入。
1月18日 最高戦争指導会議、本土決戦態勢確立などの戦争指導大綱を決定。
2月4日 近衛文麿、敗戦の必至と共産革命の脅威を単独上奏。
2月16日 米機動部隊1,200機、関東各地を空襲、これ以後空襲激化。
3月6日 国民勤労動員令公布。
3月9日 東京大空襲。23万戸焼失、死傷者12万人。
3月17日 硫黄島守備隊、全滅。
4月1日 米軍、沖縄本土に上陸。6月21日全島占領。
4月5日 小磯内閣総辞職。
4月7日 鈴木貫太郎(海軍大将)内閣成立。
5月9日 政府、独降伏後も戦争継続と声明。
6月23日 国民義勇兵役法公布。
7月13日 戦争あっせん依頼のためソ連に近衛文麿派遣を申し入れ、7月18日ソ連拒否回答。
8月6日 広島に原子爆弾投下。
8月8日 ソ連、対日宣戦布告。
8月9日 長崎に原子爆弾投下。
8月14日 御前会議、ポツダム宣言受諾を決定。
8月15日 天皇、戦争終結の詔書を放送。
8月15日 鈴木内閣総辞職。
8月17日 東久邇宮稔彦内閣成立。
8月28日 連合軍先遣隊上陸。連合軍総司令部(GHQ)横浜に設置。8月30日連合軍最高司令官マッカーサー、厚木に到着。9月15日GHQ、東京・日比谷に移転。
9月2日 米艦ミズーリ―号上で降伏文書に調印。
9月6日 米政府、〈降伏後初期の対日方針〉を承認。
9月20日 ポツダム宣言受諾に伴い発する命令に関する緊急勅令公布。
9月27日 昭和天皇、マッカーサーを訪問。
10月4日 GHQ、政治的・社会的・宗教的自由に対する制限撤廃の覚書。
10月5日 東久邇宮内閣総辞職。
10月9日 幣原喜重郎内閣成立。
10月10日 政治犯3,000人釈放。徳田球一・志賀義雄出獄後に〈人民に問う〉を発表。
10月11日 マッカーサー、幣原首相に人権確保のための五大改革を指令、同時に憲法の自由主義化を要求。
10月13日 国防保安法・軍機保護案廃止。10月15日治安維持法・思想犯保護観察法廃止。
10月20日 日本共産党機関紙〈赤旗〉再刊。
11月2日 日本社会党結成(書記長片山哲)。
11月9日 日本自由党結成(総裁鳩山一郎)。
11月16日 日本進歩党結成(総裁町田忠治)。
11月21日 治安警察法廃止。
12月1日 陸軍省・海軍省廃止。
12月2日 GHQ、平沼騏一郎・広田弘毅ら59人の逮捕を指令。12月6日近衛文麿・木戸幸一ら9人の逮捕を指令。12月6日近衛服毒自殺。
12月7日 マニラ軍事法廷、山下奉文元大将に死刑判決。
12月8日 松本蒸治国務相、憲法改正の4原則を発表。
12月17日 衆議院議員選挙法改正公布。婦人参政権を認める。
12月18日 日本協同党結成(委員長山本実彦)。
12月20日 国家総動員法・戦時緊急措置法廃止。
12月22日 労働組合法公布(団結権・団体交渉権などの保障)。
12月27日 高野岩三郎・森戸辰男らの憲法研究会、〈憲法草案要綱〉を発表。

経済

1月27日 軍需充足会社令公布。
2月9日 外貨金庫法公布(在外資金の調達と運用)。
2月16日 軍需金融等特別措置法公布。
3月27日 共同融資銀行設立(地方銀行資金の一元的運用・統制)。
4月1日 軍需工廠官制公布。これにより中島飛行機、民有官営工場となる。
5月8日 賃金統合銀行を設立(軍需融資の迅速化)。
6月19日 東京手形交換所を解散し、業務を日銀本支店に移管。
7月4日 重要産業団体令改正公布。
8月15日 政府、預貯金無制限支払いを声明、軍需会社・軍需充足会社の指定取り消し。
8月28日 戦後通貨対策委員会設置。
9月2日 GHQ、軍需生産全面停止を指令。
9月6日 全国農業会令公布。
9月15日 GHQ、連合国の財産保全を指令。
9月18日 重要産業協議会など4団体、経済団体連合委員会を結成。
9月21日 米政府、日本財閥解体方針をマッカーサーに指示。
9月24日 GHQ、賃金・物価の統制維持を指令。
9月25日 GHQ、製造工業の運営に関する覚書(日本に存続を許される工業の規模を明確化)。
9月30日 GHQ、植民地銀行・戦時特別金融機関の即時閉鎖、役員罷免を指令。
10月1日 全国金融統制会解体、全国銀行協会設立。
10月9日 輸出入、すべてのGHQの許可制となる。
10月14日 GHQ、石油の国内全在庫の即時全民需への振向けを指令。
10月15日 安田保全社解散。
10月24日 工場事業場管理令など11勅令廃止。これ以後戦時経済諸法令相次いで廃止。
10月26日 政府、石炭生産緊急対策要綱決定。
11月1日 三菱本社株主総会、岩崎小弥太・彦弥太及び財閥首脳の総退陣を決定。
11月2日 GHQ、15財閥の資産凍結・解体を指令。
11月4日 政府、持株会社(4大財閥)の自発性解体計画をGHQに提出。
11月6日 GHQ、持株会社解体に関する覚書(11月4日政府提案の承認、持株会社整理委員会の設立など。財閥解体本格化)。
11月7日 住友本社、解散方針を発表。
11月8日 米賠償委員会、日本国内資産の調査を開始。
11月17日 政府、米麦完全供出措置を決定。
11月18日 GHQ、国内民間航空を全面的に禁止。
11月22日 GHQ、戦後利得税・財産税の創設を指令。
11月24日 GHQ、政府に対し、食糧・綿花・石油・塩の輸出許可を発表。
11月25日 GHQ、戦時補償の凍結、軍人恩給の廃止などを指令。
11月28日 GHQ、新通貨発行統制に関する覚書(日銀券発行の事前承認制)。
12月9日 GHQ、農地改革に関する覚書(農地改革の始まり)。
12月21日 軍需会社法・輸出入品等臨時措置法・石油業法ほか8事業法等廃止法公布。
12月29日 農地調整法改正公布(第一次農地改革の基準法規)。
12月31日 年末現在日銀券発行高554億円となり、インフレ激化。

国際

1月17日 〔ポーランド〕ソ連軍、ワルシャワ解放。
2月4日 ルーズベルト・チャーチル・スターリンがヤルタ会談。対独戦完遂と戦後処理・ソ連の対日参戦などを決定。
2月13日 〔ハンガリー〕ソ連軍、ブダペスト解放。
3月6日 〔ルーマニア〕民族民主戦線政府樹立。
3月7日 〔ユーゴ〕連合政府樹立される(首班チトー)。
4月12日 〔米〕ルーズベルト大統領没、トルーマン副大統領が昇格。
4月25日 サンフランシスコ会議開かれる(50ヶ国参加)、国際連合の設立を協議。
4月28日 〔伊〕イタリアの独軍が降伏。ムッソリーニはパルチザンに逮捕され、銃殺。
4月30日 〔独〕ヒトラー、ベルリンの地下壕で自殺。後継はデーニツ。5月2日ベルリン陥落。5月4日オランダ、北独、デンマーク、ノルウェーの独軍が降伏。5月7日独軍無条件降伏。
5月5日 〔中〕国民党6全大会、蒋介石を総裁に選出。
5月10日 〔チェコ〕ソ連軍、プラハを解放。ベネシュ大統領らプラハに到着。
6月5日 米英仏ソ、ドイツ管理に関するベルリン協定に調印。8月30日上記4ヶ国によってドイツ管理理事会設置。
6月28日 〔ポーランド〕ルブリン派(ソ連が支持)とロンドン亡命派が統一臨時政府を組織。
7月17日 トルーマン・チャーチル(中途でアトリー)・スターリン、ポツダム会議を開く。7月対日ポツダム宣言を発表。
7月26日 〔英〕総選挙(7月5日)で労働党が勝利、チャーチル内閣総辞職。7月27日アトリー内閣成立。
8月8日 〔ソ〕対日宣戦布告。北満・朝鮮・樺太に侵攻。
8月15日 日本降伏、ポツダム宣言受諾。第2次世界大戦終結。
8月15日 〔朝鮮〕朝鮮建国準備委員会がソウルで結成(委員長呂運亨、10月7日解散)
8月17日 〔インドネシア〕共和国として成立。
8月28日 〔中〕国共和平交渉開始。8月30日毛沢東・蒋介石会談。10月10日〈国共会談紀要〉調印。
9月6日 〔朝鮮〕建国準備委員会、朝鮮人民共和国の成立を宣言。
9月10日 米英中仏ソ、ロンドン外相会議を開き、旧枢軸国との講和問題を討議。
9月25日 パリで世界労働組合連盟結成。
10月8日 〔インドネシア〕人民軍結成。
10月10日 〔朝鮮〕金日成、平壌に入る。10月15日李承晩、米から帰国。
10月21日 〔仏〕制憲議会総選挙で共産党が第1党。11月21日ド・ゴールが連立内閣を組織。
10月24日 国際連合(国連)発足。
11月20日 〔独〕ニュルンベルク国際軍事裁判開始。
11月27日 〔米〕トルーマン大統領、マーシャル元帥を国共内戦調停の大統領特使に任命。
12月16日 米英ソ3国のモスクワ外相会議開かれ、旧枢軸国の占領・講和問題・極東問題で討議。12月27日モスクワ宣言(極東委員会・対日理事会設置、朝鮮の信託統治)。

文化

1月25日 大日本教科報国会結成。
3月10日 東京大空襲で、明治座・浅草国際劇場など焼失。以後、歌舞伎座・新橋演舞場、大阪で中座・角座、名古屋で御園座など多くの劇場・映画館が空襲で焼失。
3月13日 閣議、地方新聞の1県1社紙制決定。
3月18日 閣議、決戦教育措置要綱決定(初等科以外の授業を1年間停止し、防衛生産に動員)。
3月28日 三木清、高倉テルの逃走を援助し検挙される。9月26日獄死。
4月11日 森本薫〈女の一生〉初演(東横浜映画劇場、文学座、杉村春子ほか)。
5月22日 〈戦時教育令〉公布。
6月1日 映画公社設立。
7月11日 文部省学徒動員局設置。
8月8日 仁科芳雄ら、広島の被害調査。8月14日〈新型爆弾〉は原子爆弾と発表。
8月9日 戸坂潤獄死。
8月15日 文部省、〈終戦の詔書〉に関し訓令。
8月16日 学徒勤労動員解除。
8月17日 高村光太郎〈一億の号泣〉(≪朝日≫)。
8月21日 〈戦時教育令〉廃止決定。10月6日廃止。
9月1日 東京劇場・大阪歌舞伎座・京都南座など再開。
9月9日 NHK、歌謡曲と軽音楽を戦後初放送。
9月10日 GHQ、新聞・ラジオの検閲実施。
9月15日 文部省、〈新日本建設の教育方針〉発表。
10月1日 芦田均・安部磯雄ら、自由懇話会結成。
10月1日 光文社創立。
10月10日 日本出版協会創立(日本出版会解散)。
10月11日 〈学徒勤労令〉廃止。
10月11日 〈そよ風〉封切(初の戦後企画映画)。主題歌(≪りんごの歌≫)。
10月15日 文部省、私立学校でのキリスト教教育容認。
10月20日 〈赤旗〉再刊。
10月21日 大日本戦時宗教報国会、日本宗教会と改称。
10月22日 GHQ、〈日本教育制度二対スル管理政策〉指令。
10月28日 NHK,〈山から来た男〉放送(菊田一夫作、東京放送劇団)。
10月30日 GHQ、〈教育及ビ教育関係官ノ調査、除外、認可二関スル件〉指令(軍国主義教員の即時追放など)。
10月 日本共産党出獄同志〈人民に訴う〉。
10月 東郷青児ら、二科展再興。
10月 〈文学〉〈文芸〉など復刊。11月〈人民評論〉〈民主評論〉〈新潮〉など復刊。
11月1日 〈新生〉創刊。
11月15日 GHQ、東京劇場上演〈菅原伝授手習鑑〉
11月18日 全早慶野球試合(神宮球場)。
11月20日 京都学生連盟結成。12月5日東京都下学生連絡会議結成(学生連合組織再興はじまる)。
11月23日 角川書店創立。
11月24日 GHQ、理研・京大・阪大のサイクロトロンを破壊、海中投棄。
11月30日 映画公社解散。12月26日映画法廃止。
12月1日 映画製作者連合会発足。
12月8日 日本文芸家協会再建。
12月13日 久保栄・滝沢修ら、東京芸術劇場結成。
12月15日 GHQ、国家と神道の分離を指令。
12月27日 憲法研究会(憲法草案要綱)発表。12月28日〈高野私案〉発表。
12月28日 宗教法人令公布(信教の自由を保障)。
12月30日 新日本文学会結成。〈新日本文学〉準備号発行(宮本百合子〈歌声よ、おこれ〉など)。

社会

1月13日 東海地方に大地震、死者1,961人(三河大地震)。
2月 日本軍敗北のデマが急増、1月以来送検40余件。
3月31日 沖縄、座間味島と渡嘉敷島の住民700人が自決。6月18日師範女子・第一高女の生徒49人が自決(46年3月1日ひめゆりの塔建立)。
3月 連行朝鮮人労働者、全国炭鉱労働者の33%を占める。
4月1日 台湾沖で緑十字を付した阿波丸が米潜艦の攻撃を受け沈没。2,044人死亡・1人生存。
5月28日 東京の5大紙、空襲で被災のため〈共同新聞〉を発行。
6月 東京都の人口、44年2月の国勢調査時の3割(220万人)に激減。
7月8日 横浜地検、馬鈴薯どろぼうの行員を撲殺した自警団員を起訴猶予。
8月7日 豊川市の海軍工廠爆撃で女子挺身隊員・小学生ら2,400人が死亡。
8月18日 内務省、地方長官に占領軍向け性慰安所施設設置を指令。8月26日接客業者らが銀座に施設を設立。
8月20日 灯火管制解除、信書検閲廃止。10月1日GHQ、郵便検閲を指令。
8月22日 樺太からの引揚船3隻が国籍不明の潜水艦に撃沈され、死者1,708人。
8月22日 3年8ヶ月ぶりに新聞に天気予報掲載。
9月1日 放送電波管制解除。9月8日オールウエーヴ受信機の使用を解禁。
9月3日 豪人パーチェットが〈広島における大惨状〉を初めて世界に打電。
9月3日 進駐軍、全国の駅名、主要都市の要所にローマ字表示を命令。
9月9日 米兵ギャング事件、銀座・大森に発生。
9月15日 〈日米会話手帖〉(誠文堂新光社)刊行、360万部売れる。
9月17日 西日本に台風、死者・行方不明2,400人(枕崎台風)。
9月23日 進駐軍向け放送(AFRS)を開始。
9月26日 復員第1船高砂丸、メレヨン島からの1,700人を乗せて別府に帰港。
9月30日 七尾市で中国人400人が警察を襲う。10月3日秋田県船川港で百数十人が決起。
10月8日 夕張炭鉱の朝鮮人労働者6,000人、待遇改善を求めてスト。
10月15日 在日朝鮮人連盟(朝連)結成。49年9月8日解散させられる。
10月17日 別府航路の宝戸丸が触雷、沈没、行方不明470人。
10月25日 東京で待合・バーなどの営業許可。
11月1日 雑誌〈新生〉刊行、即日13万部売れる。
11月3日 新日本婦人同盟結成(会長市川房江)。
11月16日 大相撲再開。
11月23日 プロ野球東西対抗戦(神宮球場)。
12月4日 厚生省、離職者1,324万人と発表。
12月15日 東京、上野地下道の浮浪者2,500人を収容。以後繰り返し〈狩込み〉実施。
12月25日 東京・大崎で自警団を組織。銀座でも防犯決死青年隊。

世相

ラッキョウを食べると爆弾に当たらない 3月10日の大空襲以後、東京には種々の流言飛語がとびかった。朝、ラッキョウとごはんだけで食事をすると、その日は爆弾に当たらない。ただし、このことは他人に伝えて他人もそうしないと効果がない。ラッキョウはたちまち売り切れ、次は梅干しに代わった。また金魚を拝めばいいとも言われた。
花岡鉱山事件 6月30日、秋田県花岡鉱山で強制労働中の中国人850人が蜂起、収容所を脱走したため、軍隊が出動し数日間で中国人420人を虐殺した。なお戦時中の中国人の強制連行者数は〈近代日本総合年表〉によると、3万3,939人、死者は6,872人に達する。
闇市の原点 敗戦からわずか3日後の8月18日、都内の主要5紙に次のような広告が出た。〈転換工場並びに企業家に急告!平和産業への転換は勿論、この出来上がり製品は、当方自発の“適正価格”で大量引受けに応ず、希望者は見本及び向上原価見積書を持参、至急来談あれ、新宿マーケット関東尾津組〉。広告を見てつめかけた中小企業経営者から商品を獲得した尾津は、2日後の8月20日〈光は新宿より〉のキャッチフレーズでよしず張りの通称尾津マーケット(新宿マーケット)を開いた。新宿に誕生した闇市は瞬く間に全国に広がり、敗戦直後の日本経済を底辺で実質的に支えるものとなった。
BC級戦犯裁判 A級戦犯裁判(東京裁判=極東国際軍事裁判)の陰に見失いがちなのがBC級戦犯裁判である。第2次大戦終結と共にアメリカ、イギリス、オーストラリア、オランダ、フランス、中国、フィリピンの7ヶ国は、日本の将兵を〈戦犯〉としてそれぞれ独自に裁いた。法廷も50ヶ所にのぼり、戦犯とされた日本人は5,700人、そのうち死刑を宣告された者は971人、終身刑479人、有期刑2,953人。BC級戦犯のうち、唯一日本国内で開かれたのは米第8軍による横浜裁判であった。米軍側は、〈戦争裁判〉として俘虜収容所における連合軍俘虜に対する虐待・死、B29の搭乗員処刑、南方から内地に俘虜を輸送中に起こった虐待・殺害などを対象とした。横浜裁判では327件が扱われ、起訴されたもの1,037人、絞首刑53人(刑執行51人)、終身刑88人、有期刑720人、第1回裁判は45年12月にはやくも始まり、49年10月19日まで続いた。そして58年5月30日最後の18人が全員釈放。

トピックス

ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ 8月6日午前1時45分、テニアン島を離陸した米軍爆撃機「エノラ・ゲイ」は写真撮影用などの5機を従え、約5時間後、四国上空に至った。ここで機長は搭載の「リトルボーイ」が原子爆弾であることを初めて告げ、緑色の安全プラグが抜かれた。この間、日本軍戦闘機による迎撃はただ1機、これを回避し、観測用ラジオゾンデ3つを先に落下傘で落としてから、広島上空に「リトルボーイ」を投下した。8月15日、閃光が走り、600mの高さに人工太陽のごとき熱球が出現。巨大なきのこ雲を生じ、吹き荒れる火事風の上に黒い雨が降った。翌日の大本営は、「広島市は敵B29少数機の攻撃により、相当の被害を生じたり」と発表。新型爆弾については「詳細目下調査中なり」とした。3日後の8月9日、米軍の6機編隊が北九州に飛来。広島のウラニウム型ではない、プルトニウム使用の「ファットマン」を搭載していたが、小倉の目視に3度失敗。第2目標の長崎に向かう。残燃料の不足と折からの視界不良により、原爆の太平洋投棄も考慮されたが、わずかな雲の切れ目に市街地を発見。11時2分、予定の中心部より3キロ逸れた地点で「ファットマン」は炸裂した。音速を超える爆風、数万度に達する熱戦、人々の体を蝕む放射線、広島では運転手も乗客も一瞬の熱で死に、路面電車が惰性で走り続けた。長崎の浦上天主堂では告解中の信者と司祭が即死した。9月3日に広島に入った英国人記者ウィルフレッド・バーチェットのレポートは、9月5日付け『デイリー・エキスプレス』のトップに掲載されたが、その最後を締めくくる言葉は「ノーモア・ヒロシマ」だった。両市合わせて30万人超が死亡。その後も原爆症に悩む被爆者、胎内被爆者、被爆二世、三世を残し、あろうことか、不当な差別をも内包しつつ今日に至っている。
戦艦大和の最期 戦艦史上最大の排水量約7万トン、46センチの巨砲を備え、極秘裏に建造された「大和」は、燃料不足のため、やむなく内地で待機していた。出撃はようやく4月6日夕刻。傷病兵と士官候補生を退艦させ、君が代斉唱と万歳三唱を行い、士官、水兵それぞれ故郷の方角に帽を振った。瀬戸内海を後に、豊後水道を経て沖縄に向かう。海岸に自力座礁して砲台になる覚悟だったが、翌7日、鹿児島県坊ノ岬沖で千機を超える米軍艦載機の攻撃を受け、7時間の死闘を末に沈没した。現在、母港だった広島県呉市の「海事歴史科学館」には十分の一スケールの戦艦大和が再現展示され、同館を中心に引き上げ計画も進められている。また、奈良県天理市の「大和神社」には「大和」とその護衛に当たった第二艦隊の全戦没者3,721人が祀られている。
沖縄に済まない 4月1日、米軍兵13万人が上陸した沖縄は孤立無援。頼りの「大和」は来ず、武器も物資も食料もないまま、全島民が後に「鉄の暴風」と呼ばれる砲弾、銃弾にさらされる。女学生で組織した従軍看護要員の「ひめゆり部隊」をはじめ、住民の約4人に1人、12万人が戦死、或いは自決して、6月22日以降は守備隊からの連絡も絶えた。6月13日に拳銃自殺した沖縄根拠地隊司令官の大田實海軍少将は、6日付けの海軍次官宛ての電文の最後にこう記した。「沖縄県民斯ク闘ヘリ。県民二対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
堪へ難キヲ堪へ忍ビ難キヲ忍ヒ 8月15日、NHKの正午の時報が止むと、和田信賢アナウンサーの声が流れた。「只今より重大なる放送があります。全国聴取者の皆様、ご起立願います」前日に天皇の玉音放送があることを予告されていた官公庁、会社、工場、駅、郵便局などは通行人にも呼びかけ、広い場所にラジオを置いてその前に整列した。各家庭でも居合わせた家族全員、畳に立って姿勢を正した。下村情報局長の「これより謹みて玉音をお送りします」と先触れに続いて『君が代』が流れ、「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状ヲ鑑ミ・・・・」に始まる天皇の無条件降伏が宣せられた。その間、約5分。ただし、当時のラジオは性能が悪い。そのうえ、難しい漢語が祝詞(のりと)の抑揚に乗って聞こえてきたから、ただちには何ごとか判断できない。万歳を叫び、必勝を誓って解散した学校があった。「日本が負けるわけがない」というので、要旨を正しく理解した人が殴られたりもした。
日本のいちばん長い日 玉音は、8月14日深夜から15日にかけて皇居内で録音された。連合軍への徹底抗戦を主張する陸軍の一部将校たちは、偽造した命令書を振りかざし、近衛歩兵第二連隊第一大隊を率いて皇居に侵入。この録音盤を奪おうとしたが、結局は鎮圧され、首謀者も宮城前の芝生で自殺した。侍従らが隠し通した二枚の録音盤には偽物をこしらえ、本物は粗末な袋に入れて密かに木炭自動車で運び出すほど厳重に警戒した。それでも放送会館のスタジオ前では一人の憲兵将校が軍刀を抜き、放送を阻止しようとするなど、実は冷や冷やものの放送だった。昭和20年8月15日は、ことのほか暑くて長い一日だった。御前会議で最後まで無条件降伏に反対した阿南陸軍大臣の未明の割腹をはじめ、その後も軍人の自決が相次ぎ、皇居前広場、代々木練兵場(今の代々木公園)、愛宕山では右翼の集団自決もあった。
ブラックマーケット 玉音放送から5日後、早くも東京・新宿の焼け跡に日用品を扱う露店が出現。すぐに食べ物を売るようになって、ふかし芋、おでん、すいとん、ライスカレー、占領軍の残飯で作るシチューなどの前に腹ペコ都民が列を作った。たちまち全国に広がった青空市場の裏側では、日本の法律に適用されない第三国人と、伝統的なテキヤとの利権争いがあった。第三国人の多くは兵役や強制労働に駆り出され、無一文で解放されて日本に残留した朝鮮人や中国人であり、その人数は百万人に近い。そこへ特攻隊帰りや復員兵、元兵士が参入して三つ巴となり、時には機銃などの兵器を持ち出す抗争に拡大した。
配給に餓えて死す 東京高等学校の亀尾栄四郎ドイツ語教師は、畳二枚ほどの庭に野菜を作り、教育者が闇の食糧を食べてはならないと政府の配給政策に従っていたが、米の配給は欠乏、遅配し、小麦粉はまだしも、豆かすや芋のつるまでが代用に支給される始末。彼の6人家族への野菜の配給は3日間でネギ2本のみであり、ついに10月11日、当人は栄養失調死。47年には東京地裁の山口判事も同様の死を遂げた。
タケノコのお宿 食糧難を自衛策として、人々はリュックに大切な衣類を詰め、鈴なりの汽車に乗り込んで、農村部へ物々交換に出かけた。これを「買出し」と称するが、一枚づつ衣類が減っていくありさまはタケノコに例えられ、一皮むくごとに涙が出たから「玉ねぎ生活」ともいった。こうしてせっかく手に入れた食糧も、帰路に待ち構えていた警察に没収されることがしばしばだった。さらに住宅難がある。空襲された都市ではおよそ半数の家屋が焼失していた。防火の必要上、取り壊された家も多かったから、二階や離れが借りられたら幸運。親類や知人の家での雑居、神社の社務所や寺の堂、集会所、物置小屋、焼け崩れた工場や劇場、果ては公衆便所の跡にまで人は住んだ。東京では全世帯の15%が焼けぼっくいやトタンで建てたバラック住まい。道端や空地の窮屈な防空壕に住む者もあった。上野駅の地下道は浮浪者、浮浪児の群れで溢れている。ぜいたくは言えなかった。
リンゴは何にも言わないけれど 10月11日、戦後初めて企画・製作された『そよかぜ』(佐々木康監督)が公開され、主演した並木路子の歌う挿入歌『りんごの歌』(サトウハチロー作詞・万城目正作曲)が大流行。12月10日、東京・田村町の「飛行館」で行われた公開録音には観客が押し寄せ、並木が歌いながら配るリンゴを奪い合った。子供らは「リンゴうまいや、高いやリンゴ・・・」と歌った。当時のリンゴは1個5円、理髪料が3円50銭だった。澄んだ歌声と明るい容貌の並木はSKD(松竹歌劇団)の出身。実は一晩で10万人超が亡くなった3月10日の東京大空襲の体験者だ。火熱に追われ、墨田川に飛び込み水流と人波でもみくちゃになり、母と手をつないた手が離れた。後日、悲しい対面をするのだが、混乱のなかですぐに身元が知れたのは、並木が初めてもらったSKDの給料明細書を母が身に付けていたからだという。それから50年後、並木は阪神・淡路大震災の慰問に神戸市長田区を訪れ、『りんごの歌』で再び焦土を潤した。

総理大臣

小磯国昭、鈴木貫太郎、東久邇稔彦、幣原喜重郎

流行語

ピカドン、一億総ざんげ、進駐軍、DDT、浮浪児、マッカーサーの命により、ハバハバ(早く早く)、ポツダム少尉、復員、四等国

流行歌

同期の桜、りんごの唄、センチメンタル・ジャーニー、眼に入った煙、お山の杉の子、かくて神風は吹く、勝利の日まで

ヒットした映画

天晴れの一心太助、紅顔鼓笛隊、そよ風、伊豆の娘たち、東京五人男、狐の呉れた赤ん坊、ユーコンの叫び、勝利の日まで、必勝歌

ベストセラー

お伽草子(太宰治)、旋風20年(森正蔵)、悲しき兵隊(日野葦平)、日米会話手帖(誠文堂新光社)、〈新生〉創刊、〈文芸春秋〉など復刊。

参考文献

書籍

  1. 昭和・平成史年表(平凡社)
  2. 自分史ノート(朝日新聞)
  3. 年表昭和・平成史(岩波書店)
  4. 昭和時代【昭和倶楽部編】(成美社出版)

インターネット

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