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自分史は紙の墓標

以前、自分史の出版事業を行っている大阪上六にある「ブックギャラリー・上六」の福山琢磨社長を訪ね、自分史作成に関わるお話をいろいろ聞いたことがありました。

幾人かの自分史が載せられている名著「こころの自分史」という本がありますが、これを編集した足立倫行さんは、福山社長と出会い“自分史は紙の墓標”という言葉を聞いて感動したといいます。一人の人間が歩んできた証文、自分で書いた自分の鎮魂歌(レクイエム)、それが「自分史」だと気が付いたそうです。

足立さんは、自分史を書く動機について、“紙の墓標”をはじめ、共通の動機があるといいます。
≪辛く悲しかった人生を浄化したい、相対化したい≫
≪被った社会的な不正を告発したい、このまま沈黙したくない≫
≪楽しかった日々、愛しかった人々の記憶を留めておきたい≫
≪仕事や職業への誇りや成果を表現したい、残したい≫
≪世間で誤解されている事柄の本当のことを知らせたい≫
こんな思いを込めて、『人は自らの半生を語り、少なくとも近縁者や友人知人、子供や孫、まだ見ぬ子孫には読んでもらおうと出版に踏み切る』ことになると言います。

『出版後には社会的反響なんてほとんど期待できない。ほとんど自己満足に終わってしまう。それでも、書く』と言います。

さらに、足立氏は、『であれば、もっとずっと根源的な感情に近い動機があってもおかしくない。それは何か。私は、この社会に対するどこか居心地の悪さ、違和感でないかと思う。』

『世間が自分の思いとは無関係に容赦なく流れ動いていくことに対する違和感、それどころか隙あらば自分を飲み込もうとし、実際に飲み込んでしまうことへの拒否感。そのまま黙していれば、自分という個人は溶けて押し流されてしまう。この世に生きていたのかどうかさえわからなくなる。』

そして、『だから、自分の生きてきた軌跡をありのまま描くことによって、せめて示したい、“これが私なのだ”と。』と主張しています。

私は、数多くの中高齢者の方々と出会う中で、足立氏のこの言葉に共感し、実に的を得ていると感じ取っています。

私たちが、口述自伝(ライフヒストリーブック)作成のコーチングを行う主旨は、まさにここにあるのです。

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