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紀伝体~いかに人に焦点をあてるか!

紀伝体~いかに人に焦点をあてるか!

先日、歴史には「紀伝体」と「編年体」があると言いました。史記を著した司馬遷は、「紀伝体」という手法を開発して後世に多くの歴史を遺しました。

「紀伝体」とは、要するに人物中心の歴史。人に焦点を当てていく。しかし私たちが学校で歴史を学ぶとき、いつどこでどんな事件や出来事があった、まずそんなところから教えてもらいましたよね。年代を追って事実が記録されている事柄を一生懸命覚えました。その時、それに関わった人が何を感じて考え、そしてどんな思いで行動し決断したか、そんなことを教わった記憶はまったくないですね。

「史記」は、そうではありません。もちろん大きな歴史の流れの中での記述もたくさんあるけれど、ほとんどが人物の伝記の集積で、それを司馬遷は感情豊かに文学的に書き綴っています。謂わば「伝記文学」とでも言いましょうか。

司馬遷は、小さい頃から、漢の国の官僚でだった父司馬談に連れられて中国各地を回り、そこで会った人たちからその地にまつわる歴史や文化、伝聞などを聴き取り、それをほとんど自分の脳に記憶させていたそうです。紙がなく、ましてやレコーダーなんかがない時代に、物事を書き残す手段は自分の脳しかなかったのです。

司馬遷は、優秀な官僚だったけれど、ある時友人であった武将の李陵をかばったばかりに、当時の漢の皇帝武帝から自分の男根を切断するおぞましい刑を受け痛恨の人生をおくります。その屈辱を「史記を後世に遺せ」という史記の完成だけを自分の使命として生き永らえてきたのです。確かに史記には司馬遷の執念のようなものが感じられますね。