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勝海舟の奥さんのこと

「記憶から歴史へ」をコンセプトに中・高齢者のライフヒストリー(口述自伝)を作成し後世に遺すという事業を展開する上で、もっとも参考にしている自伝が4冊あります。

すなわち、勝海舟の「氷川清話」、そのお父さん勝小吉の「夢酔独言」、福沢諭吉の「福翁自伝」、そして明治時代の思想家内村鑑三の「余は如何にして基督信徒なりし乎」。特に勝親子の本に魅了されています。

かつてのベストセラー「日本人とユダヤ人」を著した山本七平は、勝海舟について「その時代の、全地球上での第一級の人物で、全世界を通じて1世紀に一人も出ないだろう」と論じていますね。

ライフヒストリーを作成する上で人々の高齢期の生き方や考え方、心理などを知ることが欠かせないので、歴史に名を残した人物や著名人の老齢、老境の頃のことを調べていると、この勝海舟の奥さんのお話にぶち当たりました。

勝海舟の奥さんの名前を『たみ』と言い、勝ち気な深川の芸者さんでした。彼女が海舟に嫁ぐときは幕臣の養女にしていたそうです。当時海舟は旗本だったのでこうするのが慣わしであったらしい。

海舟が死んだ後、たみさんが80歳くらいの頃身内の者に遺言したそうです。

「自分の骨は麟太郎(海舟の幼名)の墓に一緒に入れてもらいたくない。数年前に死んだ温厚で立派であった長男の小鹿の墓に入れてもらいたい」とキッパリ言った。

海舟が77歳で亡くなるまで、海舟と一緒に暮らして来たものの、夫に対する猛烈な恨みと軽蔑の念が噴出していたのです。

海舟は、たみさん以外、何人かの女性に子を生ませている。老年期になっても海舟は、自分の家にいるたくさんの女中全部に手をつけてあると客に向かって自慢していた。

その事をたみさんがわからぬはずはない。たみさんは武士の妻として知らぬ顔をしていただけだった。

女中のなかに海舟の子をはらんだものがいて、海舟は慌てて女中の親を呼び出し頭を下げて謝った。その親は「勝先生のような英雄の種を頂きたく娘を奉公に上げたのだから有り難いこと」と真顔で感謝したそうです。その事を喜んで客たちに話した。

これを見てたみさんは、「こいつ馬鹿であるまいか」と亭主を腹の底で侮蔑しながらも、平然として表情には出さなかった。嫉妬を通り越して冷徹な軽蔑の心持ちだったのでしょう。

「こんな奴の墓まで入って仕えてたまるか」というが、彼女の遺言の本音に違いありません。

全地球上での第一級の人物で、全世界を通じて1世紀に一人も出ないと言われた勝海舟、「色を好む英雄にしてこの妻あり」、実に面白いですね。