ライフヒストリー良知

良知の知識と智慧

自分史・自叙伝 / 書籍

≪“元祖”が語る自分史のすべて≫

【色川大吉(作家)】
(自分史のこと)
●世界中にたった一冊しかない、未来永劫、ひとりの人にしか書けない本、これが「自分史」。
●自分史かわからないような「自分だけの史」、あるいは自慢話のような「自慢史」では、読んだ人が胸やけしてしまうとか、食傷して好感を持たない。
●まず人前で自慢話を書くのはやめようじゃないか。むしろ自分はこんなに失敗した、こんな恥ずかしい思いをした。悔しい思いをした、二度とこういう目にあいたくない、そういうことから書けば人は決して悪く言ったり、ねたんだりしない。誰でも失敗の人生の部分を持っている、表現こそしないけれど自分の悔しい思いを密かに持っている。50年生きてきて一番哀しかったことはなんだろう。悔しくて悔しくてたまらないもの、そこを正直に書こうではないか。
●記憶というのは魔法の箱のようなもの、あるいは魔法の引き出しのようなもの。
●自分史というのは、他人のためにやることではなく、自分のために、自分をよりよく理解するために書き残すもの。あるいは家族のために、自分の姿を知ってもらうために自分史を書く場合もあるが、結果として自分史が記録として社会のために役立つような普遍性、共通性を持つことができるということ。
(歴史のこと)
●もともと人間というのは、何かを表現したいという願望を持っていたようだ。原始時代から表現の意欲があった。
●町人文化は限られていたので、全人口の7割を占める百姓はどうだったかというと、柳田国男などは村では「口承文芸」、つまり口から口への言い伝えの文化が主流であるということで、その価値を高く評価し、民話や民謡の研究をした。村ではこういう形で文化が伝えられてきた。
●私は職業的な歴史家なので、そういう方の自分史を読んで、その中にいろいろな、これは私の歴史叙述の中に生かすことができる貴重な証言だというものを拾いだすことができる。これによって今までの歴史にはなかった庶民の歴史、いわゆる民衆史、さらには国民史が書けるようになるのではないかという夢を持つ。    
●今までの歴史というのは、あまりにも偉い方、有名人、功成り名を遂げた人たちのものでした。そうではなく、名もない人たちといわれる普通の庶民の中に、本当の日本の歴史、今までの歴史の本には欠けていた豊かな底辺の国民の歴史があるように思う。
●イギリスの歴史家E・H・カーも『歴史とは何か』に書いている。「歴史とは過去と現在の対話である」と。自分史も例外ではない。

≪「自分史」の教室≫

【藤本義一(作家)】
●自分史を書くにあたっては、孔子の寛容の精神をもっていなくてはならない。己に厳しく、他者に寛容。これが最もいいのではないか。特に我々東洋人は、昔からこの風土で育ってきたのだから。この精神を自分史風土として考えるべきだろう。
●自分史を“天動説=自我”で書くのは危険である。若干の他我を意識して地動説ふうに書くことが必要だろう。
●自己陶酔、自己正当化という自分に酔う状態になっている。自分史を書く場合、この自分に酔うことが最も危険である。
●自分史は、一口でいえば、自分自身に対してのインタビューだと考えて欲しい。
●1970年代に入ってから、アメリカの社会心理学分野の教授や学生たちが、街に出かけて行って、盛んに他人の個人的記録を録音してまわったライフヒストリーの誕生を話してみる。口述の生活体験記録を分析してみると、そこに個人と社会との繋がりが自然に構成されて浮かび上がってくる。性別、職業、年齢があればあるほど、その人が通過してきた中での社会との接点が明らかになっていく。その口述の個人的記録を文章化したものが“自分史”に他ならない。
●人生を、“善悪”でみるか、あるいは“勝ち負け”で考えるか、それとも“好き嫌い”で判断するか、一層のこと“損得”で測定するか、この四種類のパターンの人生観がどの人の中にもあることがわかった。

≪自分史の書き方≫

【立花隆(ジャーナリスト)】
●これから書こうとしてる自分史を、単なる、自分という人間の「メーキング・オブ」にせず、自分が生きた時代がどういう時代であったのかを意識しつつ書いてもらいたい、と思ったことである。
●人間の記憶は連想記憶方式になっているから、ちょっとでも手がかりがあると記憶はすぐによみがえってくる。
●わたしは、人間誰でもシニア世代になったら、一度は自分史を書くことに挑戦すべきだと思っている。自分史を書かないと、自分という人間がよくわからないはずだからである。
●人生をふり返るというのは、結局のところ、「考えてもせんなきことを」を考えることであり、「言うてせんなきこと」を心の中でつぶやいてみるという行為である。
●自分史を書くのは、第一義的には自分のため、自分の存在確認のためだが、その次には、家族あるいは子孫のためである。家族(子孫)に真の自分がどんな人物であったかを知ってもらうためである。
●父と母がどのように結婚して、新婚時代どこでどのように暮らしていたかということを、ちゃんと系統だった形で訊いたのは、母の最晩年90代に入ってかなりたってからだ。
●世界は、モノの集合体として存在するとともに、同時代を構成するたくさんの人間たちが共有する壮大な記憶のネットワークとして存在している。
●「あ、もう少し早く聞いておくべきだった」と気がつくことが、必ず出てくる。
●三代ぐらいは自分史として記憶しておかないと、子々孫々の中から、「そういえば、うちのひおじいさん(ひおばあさん)は、どういう人だったんだろう」と興味をもつ人が出てきたときに、なにも手がかりがないということになる。
●人間は結局、遺伝子といういうかDNAの産物なのだろうが、各人のDNAは先祖代々の遺伝子の集積(遺伝子プール)が生み出したものである。
●自分史の第一歩はまず、自分の出自について一言するところからはじめるのが常道である。
●人はみなその人なりの万世一系の遺伝情報の流れを引きずってそこにいる。
●自分史とはなにかといえば、一言でいえば、いろんなエピソードの連鎖として、自分の人生を語っていくことである。
●自分の人生をどのように区分しようかと考えるところから自分史の執筆がはじまる。

≪自分史回想ノート≫

【奥村歩(医師)】
●脳を活性化させる最良の方法は「記憶していた過去の経験を思い出して書き留める」ということだ。
●この「回想する」という脳の活動は、私たちの記憶のみだけでなく、感情・思考・認知などにも働きかける。「思い出して書き留める」といえば、日記を連想する。日記こそ、回想法の代表。日記を書くために、まずは一日の出来事を思い出さなけらばならない。これは記憶喚起力トレーニングになる。
●次に思い出した記憶に基づいて文章を書いていくが、文章化していくことによって、頭の中で混沌としていた今日の事柄が、だんだん整理されてくる。また、文章を書く事によって、冷静に一日を振り返ることができ、「今の自分」を客観視できる効能もある。

≪自分史年表≫

【藤田啓治(NHK文化センター講師・元「主婦の友」編集長】
●「自分史」を書くという作業は、昔のことを思い出す、忘れていた過去の追憶をよみがえらせる、曖昧なことを調べて正確な知識にする、自分という人間について考える、そしてそれを表現する-と、どれをとっても人間の脳を刺激し、活性化する作業ばかりだから。

≪あなた自身のストーリーを書く≫

【つなぶちようじ(ライター)】
●(記憶の大海)自分史を書き続けると、いかに多くの記憶を保持しているのかを実感できる。ふだんは思い出さないことを、何かをきっかけにしてズルズルっと思い出す。そうやって出てきた思い出に引きずられてさらに思い出すことがある。何度も想起を重ねていくと自分の記憶の深さ、広さにあきれるはず。

本と鉛筆

≪ある昭和史≫

【色川大吉】
●私たちは何のために過ぎ去ったこの半世紀をふりかえろうとしているのだろうか。それは私たちが今まであまりにも忙しすぎて、ほんとうにしみじみと過去をふりかえり、自分を歩んできた道に想いをひそめてみることがすくなかったからではないか。

≪ライフストーリーインタビュー≫

【桜井厚】
●ライフストーリーがインタビューによる質問と応答という具体的な働きかけのある相互行為であること、書く規制とは異なる会話による言語行為である点が異なることに注意し、自分史の意義を問う必要性があるだろう。

≪自分史の美学とタブー≫

【田上貞一郎(大学教授)】

≪世界に一冊しかない自分史をつくる本≫

【加藤迪男(自分史スーパーバイザー)】