◎≪福翁自伝・福沢諭吉の自伝≫(現代語訳・齋藤孝=編訳)
まだ私の十二、三歳のころだったと思う。
兄が髪をそろえているところを、私がドタバタ踏んで通ったところを、兄が大声で「コリァ待て」とひどく叱り付けて「お前は目が見えぬか。これを見なさい。何と書いてある。『奥平大善大夫(おくだいらだいぜんのたいふ)』という名前が書いてあるではないか」と大層な剣幕だ。
「アアさようでございましたか、知りませんでした」と言うと「知らんと言っても眼があれば見えるはずだ。お名前を足で踏むとはどういう心得だ。臣士の道というものは・・・」と、何か難しいことを並べて厳しく叱るから謝らないわけにはいかない。
「私が悪うございましたから堪忍して下さい」とお辞儀して謝ったけれども、心の中では謝りも何もしない。「殿様の頭でも踏んだわけでもないだろう。名前を書いてある紙を踏んだからって構うことはなさそうなものだ」とたいへん不平でした。
*福沢諭吉が語る言葉を、当時時事新報記者であった矢野由次郎が筆記し、福沢自身が推敲加筆したもの
◎氷川清話≪勝海舟の自伝≫
おれなどは生来(うまれつき)人がわるいから、ちゃんと世間の相場を踏んでいるよ。上がったり相場も、いつかさがるときがあるし、下がった相場も、いつか上がるときがあるものさ。その上がり下がりの時間も、長くて十年はかからないよ。それだから、自分の相場が下落したとみたら、じっとかがんでおれば、しばらくすると、また上がってくるものだ。大奸物(だいかんぶつ)・大逆人の勝麟太郎も、今では伯爵勝安芳様だからのう。
しかし、今はこのとおりいばっていても、また、しばらくすると老いぼれてしまって、つばの一つもはきかけてくれる人もないようになるだろうよ。世間の相場は、まあこんなものさ。その上がり下がり十年間の辛抱ができる人は、すなわち大豪傑だ。おれなども現にその一人だよ。
おれはずるいやつだろう。横着だろう。しかしそう急いても仕方ないから、寝ころんで待つが第一さ。西洋人などの辛抱強くて気の長いのには感心するよ。
*勝海舟の談話を、国民新聞の人見一太郎と阿部充家、東京朝日の池辺三山、東京毎日の島田三郎が聞
き書きをして新聞に掲載された。
◇聞き書き作品に出てくる主人公たち
◎≪三戸サツヱ・サルたちの遺言≫構成・聞き書き小田豊二≫
はい、これで私の話は、おしまい。
そうですね、私は、人生のことはサルから学びましたよ。
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ちょっと疲れました。
ああ、そうですか、今日、東京へお帰りですか。いつでも来て下さいね。この「かあさんの家」で待ってます。
水無子?!!ああ、さっきから、そこにおったか。ハハハハハ・・・・。後ろにおったらわからんわ。この人、帰るって。玄関まで送っていってあげなさい。
はいはい、こちらこそお世話になりました。
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そう、帰るか。
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また、来てねえ。ここにおるからね。・
*他の人を登場させることによって聞き書きを立体的にしたもの。
これらからわかるように、語り手はすべて“一人称”で語っています。第三者のことばをできる限り入れず、語り手がすべてひとりで「語っている」ように書く、要するに〈聞き書きことば〉で書いていくのです。これを私たちの基本形にしています。
聴き手である私たちライフヒストリアンは、語り手であるみなさまのライフヒストリーの意味を考え、解釈し、編集します。このとき、濃淡のあるみなさまの記憶を整理する作業を行います。そして、語られた内容を再構成する、これが聞き書きの核心なのです。